それでもきっと、今日、僕等は何かの弾みで歩いていく 10



それでもきっと、今日、僕等は何かの弾みで歩いていく
「随分すっきりとした顔だな」

朝方。
手荷物(と、いっても僕にはそんなに持っていくものがないのだが)
を確認していれば、師匠はひょいとドアを蹴り開け姿を表す。

「…はい。色々考えたけれど、考えたっていますぐ答えは出ないですし」
僕は曖昧に笑う。

迷って立ち止まる事もできた。
その方が良かったのかもしれない。
けれど。
立ち止まりながら考えるのは僕の性格じゃない。
歩きながら、進みながら考えたほうが、
より答えに近くなれるような気がする。

間違っていたら来た道を戻ってやり直せば良い。
それだけの事。

そりゃ、それは簡単な事じゃないかもしれないけど。

でも僕は、

不意に正面を見上げる。


「準備が出来たなら行くぞ?」
いつもの様にタバコを吹かしながら師匠は気だるそうに話す。
「はい…準備と言っても、これだけですけど」
僕は以前どこかで拾ってきた大きめの丈夫な肩掛け鞄を持ち上げる。
カバンの方が中身より重そうな気もするが、僕はこの鞄が気に入っていた。
その左隅には薄汚れた小さなワッペン。
その紋から、これがかつて郵便局員用の鞄だった事が分る。

「ま、街に出て金も手に入れば欲しいものなんて後から後からわいてくるぞ。
お前の年頃なんて特にな」
「そんなもんですかね?」
僕は少し首をかしげれば、師匠は大仰に頷く。

…僕のほしいものと言ったら、そりゃ、アレかな…
以前軍人さんが持ってた銃とか、あ、あと小型で高性能の拳銃もあるって聞いた。
是非とも触ってみたいものだ。

「で、もう別れは済んだか?」
「別れ?」
「そうだ。この家とか、お前の母さんとか、…街とかに」
「それならもう、」
僕は笑う。
「とっくに済みました」
「そうか。じゃあ行くぞ」
何の感慨も無く師匠は答え、そしてスタスタとシティに向かって歩き出す。
僕は小走りについていく。
師匠は後ろの事なんか全然気にしてくれないし、
追いつけなかったら置いていく主義の人だから。

……少しは、気にして欲しいけど。
僕は困ったように笑う。


いつもの薄汚れた街。
通りには腐乱死体。
物乞いをし、あてもなく彷徨うでぃ。
汚い、生きるべき価値もない、最果ての、場所。

それでもここは、僕の故郷だ。
たった一つの、僕の故郷だ。

いつも眺めていた高い壁にたどり着く。
薄汚れた高い壁。
被虐種と虐殺種を分けるための壁。
その向こうに自由に行けども、
踏み出す勇気はなかった。
僕の住むような世界じゃないから。

何の躊躇いもなく師匠がその門を潜り抜ける。
僕も、…一瞬躊躇して
…そして一歩を踏み出す。


想いが、駆け巡る。
この先には、僕の知らない世界が待っている。
僕の知らない道がある。
誰かに手を引かれようと、それでも自分の足で歩くのは自分しかいない。

不意に、言いようのない恐怖に足は竦む。

素直に、怖いと思う。


「………、」

「クロウ、さっさと来い」
中々来ない僕に、師匠は再び門のこちら側に戻り、
僕の手を掴むとどんどんと進んでいく。

「あ、ま、待って下さいししょ…僕は、その、」
「悩む暇があったら歩いてろ。
……半人前の弟子の道標位にはなってやるから」
「……はい…」
不安を見透かされた様な言葉に、僕は素直に頷く。
そうして少し、いつもの調子に戻る。

まだ、僕は一人じゃない。
だって、この門の向こう側には僕の兄弟がいるし、
それに、僕の側には師匠がいる。

小走りに、そして僕は師匠に歩調を合わせ、
門を潜り抜ける。

それは、本当に一瞬の出来事だった。
強く風が吹き、僕は目を細める。
振り返れば遠ざかって行く、被虐種達の町。
こちら側から見た壁は、やはり同じ灰色の壁だったけれど。


そうして再び前を向く。
空の色さえ違った様に感じる。
シティが、目の前に、どこまでも広がる。


そうして僕は、もう一度僕の故郷を振り返る。
いつか帰る、その故郷に。


だから、さよならじゃない。
さよならじゃないんだ。
代わりに言う言葉はいつも決まっている。
そう、母さんにいつも言っていた言葉。

「……いってきます」
小さく、そう呟く。

不意に、遠ざかる門の前に誰かが立っていたような錯覚に陥る。
でぃ種の、…あれは誰だったんだろう。
母さんが見送りに来てくれたんだろうか。


過去は消えない。
思い出も消えない。

何が嘘で、何が真実でも、
僕の中に、優しかった母さんは確かにいた。
その真実だけが、僕の足を前に前にと、進ませてくれる。


もう、後ろは振り返らなかった。

師匠の後ろに、ただ、ひたすらに付いていった。






それでもきっと、今日、僕等は何かの弾みで歩き続けるから。




そう、
だから僕は
歩き続けるんだ。



――― 10 ―――


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